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もずはっく日記(2008年2月)

2008年2月4日

Matzにっきの騒動を見て思うこと
初回投稿日時: 2008年02月04日07時23分02秒
最終更新日時: 2008年02月04日17時00分37秒
カテゴリ: 雑談
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言語オタクではないので内容そのものにどうこう言うつもりはないのですが、始めに書かれた文章と、その後のコメントやエントリを読んでいくと、真意を伝えることの難しさというものを感じさせられたので、そのことについて。

文章という伝達手段が元々、ニュアンス等の細かい付加情報を与えづらいという側面もある上に、blog等のWeb上の日記 — というかURIというものを採用してしまったWeb上のありとあらゆるコンテンツ — は読み手が読みたい部分だけ(もっと言うなら話題になった部分だけ)を読めてしまう便利さがある反面、書き手が真意を伝えるというのはより難しいものだと思います。書き手には脳内、もしくは自分の過去の文面に、そのコンテンツの土台、前振りとなるような内容のコンテンツがありますが、それを全て記述することはできないからです。

このような理由から、Web上で意見を書きたい場合、書き手からすれば、もの凄く端折ったものを書くことになります。そんな不便なものを、読者が理解しようとする場合、その端折った文章と、入手可能な(というか入手済みの?)範囲でのその人のプロフィールから作者の考えを推測することになります。

結果、読み手の推測と書き手の真意にずれがあると、書き手の望まない方向へ話が進むことになります。書き手は自分への批判・反論もまた、同様の推測を経てそれを理解しようとする訳で、そう考えるとWebページ上での意見交換というのは色々とアヤシげなものに思えてしまいます(実際、アヤシいものですが)。

書き手は立場を明確にしてしまうと、読み手によっては影響力、説得力が大きくなります(なってしまいます)。無論、読み手が書き手の専門分野であると考えることができる分野における内容の場合です。このような状況下では個人的な意見をそうであると(読み手全員に)伝えることはできません。

黙ってしまえば表面的には問題ないわけですが、建設的ではないですし、何よりも意見は言いたいというのが人情ってものでしょう。私も立場を明確にしちゃってますので内容によっては個人的な意見を書きにくいのですが、それでも自分の意見が書きたいときは多々あります。私の場合どうしてるかというと、推測されちゃ嫌な方向へ推測される可能性を消していく文章を書くことに努めています。うまくいってるかどうかと言うと、うまくいってない気はしますが。

近頃は『空気読め』なんていう言葉が流行ってますが、相手に意図が伝わっていないというのは自分の表現能力のマズさを反省しなければいけないポイントなのだと思います。また、少しでも相手に正確に伝えようと考えるのであれば匿名での発信というのは根本的なところで間違っていると思います。自分の考え方やその他、読み手の理解の助けとなるものを一切排除して伝えようとしている訳ですから。

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